今から34年前の1986年4月26日未明、チェルノブイリ原子力発電所(正式名称:V・I・レーニン共産主義記念チェルノブイリ原子力発電所)1号炉が爆発。約26,000~28,000㎢が放射能で汚染され、未だに立ち入りが制限されたままです。現在はウクライナ領ですが、当時はソビエト連邦領でした。後に、当時の元首ゴルバチョフ書記長は、「ソビエト連邦崩壊の真の理由は、チェルノブイリ原発事故だったかもしれない…」と述べています。彼がそう述べた真意は、『原発事故があったから』『原発事故さえなければ』ということではなく、事故に象徴された当時の連邦体制のあり方や、連邦上層部の慢心(傲(おご)り)に対する反省です。
当時、ソ連の原発関係者の間には、ソビエト連邦が開発したRBMK原子炉は世界の最高峰で、『万が一にも爆発するはずなどない』という思い込みがありました。ところが実際には材料費を抑えて安上がりに設計されており、そのことによって重大な欠陥のあることが事故より10年前に報告されていたのです。しかし、報告書は公表される前にKGB(連邦秘密警察)によって問題の箇所が破り取られ、報告書を書いた科学者は更迭。欠陥はもみ消されてしまいました。当時、レーニンの名を冠する“最高”に異を唱えることを許さない風潮が、連邦内に蔓延していたのです。
昨年10月10日から5週に渡り、チェルノブイリ原発事故を再現したドラマ(HBO制作・全5話)がスター・チャンネルとアマゾン・プライムビデオで放映されました。事故発生から裁判までが描かれ、事故が全くの人災であったことが明らかにされています。
福島原発事故の場合は天災がきっかけでしたが、チェルノブイリ同様、津波によって『電源が失われるはずがない』という傲(おご)りがありました。私たちの心には保守、保身の心があって、『あって欲しくないこと』『あってならないこと』は、『ないこと』『あるはずのないこと』にしたがる傾向があります。その心がやがて傲慢(ごうまん)さを生み、福島の天災は原発事故という人災までをも産み出してしまうことになりました。福島の場合にも、事故の数年前に最大15.7m(原子炉建屋4~6m水没)の津波想定が報告されていましたが、東京電力が対策を講じることはありませんでした。『二重三重に予備電源を設けているのだから、その全てが失われることはないだろう』という傲(おご)りです。そして津波はやってきました。想定を遙かに超える高さで…。
仮に、報告書を基に対策を講じていれば事故は防げたのか。それは、分かりません。しかし、少なくとも女川原発では建設時、高台に設けることが検討・実施されており、東日本大震災での津波被害は軽微でした。正に歴代の津波経験が活かされた格好です。つまり、100~300年に一度、この地域に大津波が来ることは誰もが知るところでした。それなのに福島原発では、確たる根拠もなく『大丈夫』と決め込んでいた。その心の隙間に天災が襲った、ということなのでしょう。
一旦放出された放射性物質は、半減期を迎えるまでに、短いもの(セシウム137)で30年、長いもの(プルトニウム239)では数万年を要し、その間はずっと土壌と空気と水を汚染し続けます。現在、福島では名古屋市とほぼ同面積の370㎢が立ち入り禁止ですが、たかだか百年の寿命しか持たない人間の私たちが、数万年先の子孫や動植物にまで責任を負えるものだろうか…コントロール仕切れないままの状態で扱い続けて良いものだろうかと考えさせられてしまいます。もしかすると私たちが原発を使い続けるというのは、幼児に実弾入りの拳銃を手渡すようなもので、私たち人間には原子力を扱えるだけの資質と能力が圧倒的に不足している、その現実を認めざるを得ないのではないか、と思わされるのです。
どんな現場にも、ヒューマンエラーは付きものです。エラーをしてしまった人を責めるのではなく、エラーが起こっても良いように、起こった時の対策を講じておくことが何より重要です。そして、考え得る最悪の事態が人の手に負えない範疇であるなら、利用を断念する勇気を私たちは持つべきなんだろうと思います。
失敗が許されない=「取り返しがつかない社会システム(組織)」ではなく、失敗を包み込める=「取り返しのつく社会システム(組織)」を生きたいと、そう願います。