いよいよ1年遅れてオリンピック・パラリンピック2020東京大会が開幕しますが、近代オリンピックで、かつてこれほどに盛り上がりに欠ける大会はなかったのではないでしょうか。
今から8年前、オリンピックの東京への招致が決定した頃、勿論、大会関係者は、2020年にパンデミックが世界を席巻することになろうとは夢にも思っていなかったことでしょう。それ故、東京大会は「復興五輪」と位置付けられていました。しかし、パンデミックによる異例の開催1年延長。伴って、1年後の大会を「コロナに打ち勝ったことを…」と位置付け直して、当面コロナ禍対応に全力を注ぐよう、大会関係者をはじめ行政も国民も気持ちを切り替えたように思います。
過ぎてしまえば、あっという間の1年でした。園でも様々の感染予防対策を行って、振り返えれば昨年オリンピック・パラリンピックが開催されていたとしても、全く関心を払う余裕はなかったことを思います。翻(ひるがえ)って今年はどうかというと、ワクチン接種がはじまったとはいえ、状況はあまり変わっていないか、むしろ、昨年同時期より悪化していると言わざるを得ません。
大会組織委員会も東京都も政府もIOCも自治体も、本当に苦悩の連続であったろうと想像しますし、大変なご苦労があったことを思います。しかし、昨年の今頃には想定し得なかったデルタ株が世界中で猛威を振るい、インドネシアでは1日の新規感染者が5万人を超え医療崩壊が起っています。殆どの基幹病院が野戦化し、南半球の多くの国々が同様の状況に置かれている中にあって、オリンピック・パラリンピックは本当に平和の祭典たり得るのだろうかと案じます。
個人レベルで考えれば、家族の誰かが瀕死の状態にある中を「ごめんね、ひいきチームの応援に行ってくるね」とは言わないはずです。だとすれば、オリンピックを取りやめて、そこに注がれるはずの人とお金を苦しむ人たちのもとへ届ける方が、余程、平和的であろうと思うのです。それなのに、そうまでしてお祭りを強行する理由はなんなのでしょう。大会関係者ばかりでなく、出場するアスリートたちもきっと『自分たちは、競技をしていて良いのか…』と、苦悩し葛藤していることでしょう。
しかし、大会は開催されます。パンデミック下のオリンピック・パラリンピックは、かつて誰も経験したことのない人類史上初の試みです。その未曾有を走り出すからには、最後まで走りきるしかない訳ですが、結果はゴールに着くまで分かりません。それも、ゴールできればの話です。そして、仮にゴールまで完走できたとしても、世界に誇れるレガシーは何も残せない気がします。
私たち人類は、この大会を通していったい何を学ぶことになるのでしょう。全く想像がつきません。後世に、パンデミック下に開催したと酷評されるのか、パンデミック下でも開催できるモデルを示したと好評されるのか、それはきっと歴史が決めることでしょう。兎にも角にも、私たちが選んだ国の指導者たちが苦悩した末に開催を決めた以上、私たちは今は批判することを止め、大会関係者のために、アスリートたちのために、医療従事者のために、エッセンシャルワーカーのために、そして何より新型コロナと闘っておられる患者さんとそのご家族のために、祈りを合わせて参りたいと思うのです。