ペンテコステPentecostes(ラテン語/聖霊降臨祭・五旬祭)は、クリスマス(聖降誕祭)、イースター(復活祭)と共にキリスト教三大祭の一つに数えられる記念日です。しかし、一般の方には馴染みがないか、初めて耳にする方も多いかもしれません。ちなみに、今年(2023)のペンテコステ(聖霊降臨祭)は5月28日(日)です。
ペンテはラテン語で数字の「5」を表す言葉で、五角形のアメリカ国防総省ペンタゴンも同じ語に由来しています。ユダヤ教においてペンテコステは「五旬祭」を表す言葉ですが、旧約聖書の「過ぎこしの祭り(パスカ)」から数えて50日目に、預言者モーセがシナイ山で神から十戒(律法)を賜ったことを記念するお祭りです。「過ぎこしの祭り」にキリストの復活が重なってパスカ=復活祭となり、時代を経てイースターになったことは前々回お伝えした通りですが、同様にペンテコステ(五旬祭=十戒拝受)に聖霊降臨が重なり、キリスト教においてペンテコステは聖霊降臨祭の意味で用いられるようになりました。
では、聖霊降臨とは、いったいどのような出来事だったのでしょうか。それについては、キリスト・イエスご自身が使徒達に語られた約束から始まります。
ヨハネによる福音書14章15節~ -聖霊を与える約束-
15 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。
16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなた方と一緒にいるようにして下さる。
17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。
18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。
19 しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。
20 かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。
21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
-中略-
26 しかし、弁護者、すなはち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたに全てのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
この約束の後、主イエスは捕らえられて無実の罪で十字架に磔(はりつけ)にされ命絶えます。それから三日目の朝、復活して使徒等と共に40日間を過ごした後、使徒たちの前で生きたまま天に上げられました。そして、復活から数えて50日目の五旬祭の日に主イエスの語った聖霊降臨の約束が果たされたのです。
使徒言行録2章1節~ -聖霊が降(くだ)る-
1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
5 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、
6 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
7 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。
8 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。
9 わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、
10 フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、
11 ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」
12 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。
13 しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。
以上が五旬祭の日に起こった聖霊降臨の奇跡です。そして、集まっていた人々に向かって使徒ペテロは次のように語り掛けました。
36 …イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」
37 人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。
38 すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物(たまもの)として聖霊を受けます。
39 この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」
この日、奇跡を目の当たりにし、使徒ペトロの言葉を受け入れた3,000人ほどが洗礼を受けたと聖書は伝えます。こうしたことから、キリスト教会ではペンテコステ(聖霊降臨祭)を親しみを込めて「教会の誕生日」と呼んでいます。
ところで、父なる神、子なる神、聖霊なる神を「三位一体(さんみいったい)の神」と云いますが、フィンランド・ルーテル・キリスト教会の教会学校では、子どもにも理解しやすいよう正三角形の板を使って神と人類との関係性を次のように教えます。
まず最初に、旧約聖書時代の人類と神との関係を、板を水平に寝かせて下図のように示し、
次に、キリストが地上で公生涯を過ごした所謂(いわゆる)キリスト時代については、板を縦にし、子なる神が人類に伴ったことを示し、
更に、復活を果たしたキリストが天に上げられ、聖霊降臨後の人類との関係を、板を回転して聖霊が人類に伴っていると教えます。
何故このように教えるのかというと、旧約聖書の天地創造のはじめ
創世記1章26節に
26 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」
と、神が複数形で登場するからです。旧約聖書の他の場面にも三者で記述されている箇所が複数あり、天地創造の前から神が三位一体であったことが示されます。つまり、子なる神がクリスマスに、聖霊なる神がペンテコステに生まれたのではなく、世のはじめから神は三位一体として存在しており、それぞれに独立した神格(ただし、完全に一致してもいる)として世に示されたのがクリスマスであり、ペンテコステであったということなのです。